こんにちは!CATER(ケイト)です。
今回は、ジュリア・キャメロン著「新版ずっとやりたかったことを、やりなさい。」から学んだことを紹介していきます。
”創造性”か…私にもあるのかな。
あったとして、どうしたら育むことができるんだろう。
”創造性”の成長を邪魔する存在って何なんだろう。
もしかしたら、案外自分でも気付いていないのかも。
何か、良い発想の転換方法はないかな。
人がよく陥りがちな思考のクセのようなものがわかれば…
本書は各個人が有する”創造性”を明らかにします。
湧き上がる”やりたかったこと”こそ”創造性”であり、それをどのように守り、そして育むかを教えてくれます。
まず皆さんに断っておきたいことが、本書は「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」という方法論を紹介しているものとなります。
これは、自らが持つ”創造性”をどのように自覚し、そして育むかのノウハウを説明しているものです。
「モーニング・ページ」とは、朝起きた直後にノート3ページにわたり、ペンを止めることなくただ湧き上がってくる言葉・文章を書き続ける活動を言います。
「アーティスト・デート」とは、1週間に1度、自分が今まで蔑ろにしてきた「やりたいこと」「興味があること」を実際にやってみる時間を確保し、自分と”デート”する活動を言います。
これらの具体的なやり方については本書で説明されているので、ぜひ実際に手に取ることをオススメします。
以下の本文で紹介する本書の内容は、その「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」を成功させた際の恩恵であったり、”創造性”の成長を阻む存在の発見の仕方であったりについてです。
なので、例えば「モーニング・ページ」の活動については本文では「日記」という表現に変えているように、少しニュアンスを変更してお伝えしているところがあります。
正直なところ、「モーニング・ページ」も「アーティスト・デート」も、本書通りにやろうとするのはかなりハードルが高いように思えます。
私も実際「モーニング・ページ」をやったことがありますが、ノート3ページを文字で埋め尽くす作業というのはとても大変で疲れます。
1ページだけでも25〜30分掛かってしまったので、朝の90分弱の時間を費やすのはかなりハードでした。
なので、自分が無理なく続けられる程度に本書のエッセンスを落とし込むくらいで良いのではないかと、私は思います。
毎日5分程度の時間で日記をつけ、自分と対話する時間を作るとか。
3ヶ月に1回は泊まりで遠出してみるとか。
「オール・オア・ナッシング」(全てを受け入れなければならないか、全てを拒絶するか)ではなく、適度に本書の内容を取り入れるくらいがちょうど良いと思っています。
そもそも、読書という活動自体がそういうものであると、私は思っております。
- 本ブログでは、私が実際に読んだ書籍から「勉強になった!」「気持ちが軽くなった!」などの学びや感動を紹介しています。
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それでは本題に入ります!
全ての人に備わった創造性を自覚し、強化する
皆さんは、自分自身に「私には創造力なんてない」「良いアイデアを生み出すなんてできない」と思っていませんか?
私は長い間自分のことをそう思っていましたし、事実何かを創造する機会などほぼない人生でした。
そしてこれからもそうだろうと漠然と思い、現在の仕事もクリエイティブとは言い難いものに就いています。
しかし、著者はそんな考えを否定します。
そもそも”創造性”とは、万人が必ず持ち合わせているものだと言うのです。
例えば、世界一偉い坊さんが悟りを開き、「何の欲も持たない」と言ったって、毎日水は飲みますし腹も減ります。
手は何かを掴もうとする形のままですし、目は何かを見るために黒いままで、耳も音がすれば自分の意思に関わらずその音を拾います。
もしも本当に”全ての欲が無い状態”なのだとしたら、それはイコール「死」でないと説明がつきません。
身体は、元から欲望の形をしているからです。
ちなみにこの考えは哲学者ショーペンハウアーの「意思と表象としての世界」という著書から拝借した考えですので、興味がある方はぜひそちらも調べてみて下さい。
さて、この考えは、きっと各個人の創造性にも当てはまることだと思うのです。
人間である限り、強弱の違いはあれど、創造性を持ち合わせているのです。
なので、「自分に創造性なんてない」などと考えることは愚問である、と言えますね。
では、誰にでもある創造性をどのように育て、強めれば良いかをご紹介します。
まず、自分の内部との会話は必須なのですが、そこで注意が必要なのが、自分の中の「否定的・厳しい意見を強めない」こと。
自らを批判する内部の存在のことを、著者は”検閲官”と言い表しています。
その検閲官は完璧主義者で、自らの弱み、過去の失敗、挑戦のリスクを叩きつけ、新しいことへの希望や好奇心を無くさせようとするかのように主張してきます。
ここで、検閲官の言うことに「確かにその通りだよな、、」と耳を傾けてしまったら、創造性を育てることを放棄してしまうことと同義です。
内部に湧き上がってくる否定的な意見には勝手に言わせておけば良いのです。
つい批判する意見に同調してしまったら相手に勢いを与え強めてしまうので、今まで何かを諦めてきた方は”検閲官”を無視することが大事であると気付けることで、大きな一歩になります。
ただ、全く無視する、というのもリスクマネジメント的に危ないかもしれないので、「一応の参考にはする」位の態度が良いかもしれません。
また、その否定的な意見が自分の人生のどの記憶・経験からやってくるのか、その源を考えてみることも改善には大きく役立ちます。
学校での経験だったのか、親の教育方針だったのか、今までの近しい友人と共通している価値観なのか、ふと見かけたテレビ番組だったのか、、
自らがどのように思い、考えるようになったかのきっかけを明らかにすることで、自らをがんじがらめにしてきた”何か”を見つめ直すことができます。
それが、人生の発展を阻害しているものであったならば、そこから解体することができるかもしれません。
そのためには、自分との対話の時間が必須になります。
そして、そのための方法こそ「日記を書く」という習慣なのです。
折角思い浮かんだことも、書き残しておかなければ直ぐに記憶の彼方へ吹き飛んでしまいます。
日記を書き、言語化し、自らの記憶と対話をすることで、成長の枷となっていた”何か”を発見して昇華させることができるのです。
以上、自らの創造性を自覚し、批判的な意見に耳をかさず、記憶の中にある成長を阻害しているモノを発見して除き、そのために日頃から日記をつける。
これらができれば、各々が豊かに”創造性”を育てていくことができるのです。
自分を応援してくれている人は
正直この項目は、私が今まで読書をしていて最大の衝撃を味わったところかもしれません。
赤裸々に語ると、夜布団の中、母親を思い浮かべながら嗚咽を出して泣いたのです。
それは、感動の涙ではなく、悲しみの涙でした。
本書を読んでいる最中でも、読後すぐでもなく、恐らく1週間ほどが経ち、ようやく著者の言っていることと自分の母親が重なり、著者の言葉を理解できた時でした。
母はまだ存命で、特に母親にも私にも、何か変わったことがあったわけではありません。
それほどまでに、読んだ時に衝撃で、直ぐには処理できず、しかし確かに心当たりがあったので、時間を掛けて自分の人生と重ね合わせたのです。
読後に変わったのは、ただ、私の母親に対する見方でした。
まず1つ、著者の言葉を紹介します。
創造性を回復する道の途上にいる多くの人たちは、善人を演じることによって自分自身を妨害するケースがひじょうに多い。(p.193)
新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。|ジュリア・キャメロン著
ここでいう「善人」とは、自分よりも周囲を優先する人のことを言います。
自分がしたいことを諦めて家族の時間を増やす、本当はやりたいことがあるのに会社に通い続ける、友人の言うことにNOと言わない、、
このようなことに慣れてしまい、そしてそれを”善し”としていると、著者の言う「善人」になってしまいます。
ここで重要なのは、嫌いな人ではなく、むしろ真逆の、大切な人、幸せでいて欲しい人に対しての態度だということです。
自分にとって大切な人たちのために、自分の内なる声を自分で殺してしまうのです。
そして、もう1つの言葉。
多くの母親は子どもの熱意に水を差す役割を果たす。(p.366)
新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。|ジュリア・キャメロン著
私の母親は、私をよく育ててくれたのだと思います。
他人様に細かく説明するものでもありませんし特に語りませんが、とりあえず私が今腐らずにやっていられるくらいには、ちゃんと育ててくれました。
ただ、それまでに引っかかることもありました。
親元を離れ一人暮らしする時も、「将来は地元近くに帰ってくること」を約束させ、私を送り出しました。
また、大学で他国文化に興味が出て、海外留学の機会があったので相談してみたところ、「心配だから絶対にやめて」と言われ、諦めたこともあります。
当時は私も、それまでわがまま言って迷惑を掛けてきた感謝・恩があったので、母親が辛く悲しむのならやめておこうと、後ろ髪引かれる気持ちがありながらも諦めました。
大学卒業後も約束通り、地元に戻って就職をしました。
しかし、本書を読んで、心のつっかえがとれ、淀んだ水が堰を切って流れ出た感覚がありました。
そこで、1週間ほど経った夜に、ある結論に至ったのです。
それは、「母親の愛情が、脅しでもあった」というものでした。
きっと母親は、そんなつもりは毛頭無かったのだと思います。
ただ本心から、私を心配し、愛し、近くにいて欲しかったんだと思います。
しかし、それは母親の希望に過ぎません。
母親の尺度で、私の行動が制限されていたのです。
そのようなことを考えていたら、幼少の頃の様々な記憶が思い出されました。
桜の木が立ち並ぶ道を車で走っていたとき、窓から桜の葉が入ってきたのを喜んで見せたこと。
一人で映画を観た後、暗い映画館の出口に母親が待っていてくれて嬉しかったこと。
流行っていた芸人のギャグをやって見せて、困ったように笑っていたこと。
そんな大切な思い出が、母親が自分の希望を押し付けるための脅しのために使っていたと知った時、強烈なショックでした。
母親が”脅し”のために利用している意識はないにしろ、私の母親に対する感謝・恩が、そうさせていたのです。
少しでも間が開くと「元気にしてるの?」と連絡をくれる愛情が、何かを諦めなければならない理由になっていたなんて。
もしかしたらその時に湧いたのは、憎しみや「許せない」といった感情に似ていたのかもしれません。
母親のつもりなんて知らない。事実そうなのだから。
留学を諦める理由は親だと係員に伝えた時、「そんなことも説得できないようじゃダメだよ」と言われた時も、母親のことを思った結果なら仕方がないと諦められていたのに。
でも、それじゃあ、”善人”のままだ。
これからも、母親が悲しむことはできないままだ。
母親の範疇でしか、生きていくことができない。
母親の顔色を伺いながら、取り返しのできない年齢にまで老いていくことになりかねない。
だから、断たなければならない。
もう依存するのはやめると。今までの関係ではないのだと。
もう、他人なのだと。
母親ではあるが、他人の人生の決定を左右していいほど踏み込ませてはならないと。
母さんがやめて欲しいと思っていることでも、選ぶことができるのだと。
そう決意した瞬間、涙が出てきました。
多分、1つの”別れ”でした。
その後、恥ずかしながら一旦母親との距離を意図的に疎遠にし、心配させた後で、今まで思っていたこと、これからどう関わって欲しいのかを話しました。
母親もなんとなく感じていたようで、私の話をよく聞いてくれました。
私も今すぐに何か突拍子もないことをするわけではありませんが、母親の”鎖”を切れたことは、今後の人生において良い転換点だったかなと思っています。
ただここで私がちゃんと言いたいのは、「親元を離れないことはダメだ」と言っているのでは断じてない、ということです。
親といることが幸せで、お互いにそう望んでいるのであれば、他人がとやかく言うものではありません。
しかし、「選べる」ということは重要だと考えます。
私がそうだったように、地元にいる以外の選択肢を与えないようなことは、折角の人生なのに勿体なさ過ぎます。
他の地で頑張ってみる、なんなら海外生活を経験してみる。
その上で家族の近くが良いとなれば、それで最高ではないですか。
それに、地球の裏側にいたとしても2日もあれば会えるのです。
”It’s a small world.” ってことです。
海外経験は僅かしかありませんが。(笑
家族関係だけではありません。友人、会社、、
自分が大切に思っている人たちこそ、自分の豊かな”創造性”の成長を阻む存在なのかもしれません。
だから、あまり人の顔を伺い過ぎてはいけません。
大切に思っている人が悲しんだり、困ったりすることに引き目を感じて躊躇してしまえば、過去の私と同じです。
拭えない後悔を抱えながら生きていくことになりかねません。
一度きりの人生なのです。
どうか、後悔のない生き方ができるよう、時には非情さも大事なのだと知っておきましょう。
”原因”と”結果”を逆にして考えてみる
さて、最後に紹介するのも、人生における考え方がガラッと変わるパワーのある言葉です。
早速引用して紹介します。
私たちは絶えず、原因と結果を逆転させたくなる。「書かなかったから気分が悪い」とは考えず、「気分が悪いから書けなかった」と考えるのだ。(p.159)
新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。|ジュリア・キャメロン著
ここにある「書く」とは、上の項でも紹介した「日記」です。
日記を書き進めるには、内容が良いこともあれば、悪いこともあります。
中には目を逸らしたいような問題や悩み、弱みなどと向き合うことになります。
日記を書くということは、それらから逃げることを許しません。
だから日記を書くことを躊躇し、「気分が悪いから書けなかった」などと言い訳してしまうのです。
本当は、問題や悩み、弱みから目を逸らした(=書かなかった)から気分が悪いのです。
それら不快なものから目を背けずに向き合うことで、初めて解決策を発見し、解体し、昇華することができるのは上で説明した通りです。
そのために有効な手段である日記から逃げていては本末転倒です。
不愉快であっても逃げず、日記を書き進めるからこそ”創造性”が育まれます。
ただ、注意点も先に申し上げたように、批判的な意見に首肯しては”創造性”を阻害することになるので気を付けてください。
批判的な意見は「一応の参考にはする」程度に聞き、問題、悩み、弱みは冷静に見て対処していくのです。
また、引用した冒頭の「原因と結果を逆転させたくなる」という言葉はとても含蓄のあるものに思えます。
例えば仕事からの帰り道、何軒かコンビニがあり酒の誘惑を振り切れず、つい晩酌をしてしまうというのは、コンビニがあることが原因で、その結果ビールを飲みたくなったようにも言えてしまいます。
でも実際は、ビールが飲みたいというのが先にあって、コンビニに入店して買ってしまうというのが後です。
恐らくこの人は、同じ道中にあるポストの存在を認識さえしていないでしょう。
ハナから興味がなければその存在に気付くことさえないのです。
他にも、人が自分の話を聞かなかったから怒っていると言っても、本当は当人の方が他人の話を聞いていなかったり。
部下が失敗したからイライラしていると言っても、そもそも機嫌が悪い時に部下の失敗が重なっていたり。
仕事内容がつまらないと言っても、そもそも自分が楽しもうとして仕事をしていなかったり。
もしかしたら世の中、原因と結果がその人に都合が良いように方向が変えられていることばかりなのかもしれませんね。
時には原因と結果を逆にして考えてみたら、驚くべき発見ができるかもしれません。
良い教訓となりました。
まとめ
1|全ての人に備わった創造性を自覚し、強化する
→ 誰でも創造性を持ち合わせているが、それを育むためには自分の内部との対話が必須。その際湧いてくる批判的な意見に同意してはダメ。また、そもそもなぜその批判が湧くか、その記憶の源を発見できれば、創造性の成長を阻む”枷”を除くことができる。そのためには日記をつける習慣を身につける。
2|自分を応援してくれている人は
→ 自分が他人を大切にし、その人を優先するが故に、自分の内なる声を自分で殺していることがよくある。特に母親という存在はそうなりやすい。自分のやりたいことを優先する”非情さ”を持つことで、創造性を育むことができる。
3|”原因”と”結果”を逆にして考えてみる
→ 人はよく、自分にとって都合が良いように”原因”と”結果”を入れ替える。様々な事象に対し、時には”原因”と”結果”を逆にして考えてみることで、新たな発見ができるかもしれない。
以上でジュリア・キャメロン著「新版ずっとやりたかったことを、やりなさい。」の紹介を終わります。
いかがでしたでしょうか。
本文中でもお伝えしましたが、ここまでの衝撃を喰らった1冊はなかなかありません。
自分のそれまでの基盤がガタガタと揺らぎ、再構成されるような感覚は、人生においても滅多に経験できるものではありません。
やはり、読書というのは偉大ですね。
自分の中の”批判する存在”と上手く折り合いをつけること、大切な存在を優先することで失うもの、原因と結果を逆に考えること。
この1冊から得たものは、とんでもないものに思えます。
きっとまだこれから先の人生において、本書で学んだことが生きてくる場面があるとも思います。
この1冊に出会えて本当に良かったです。
今回紹介した内容は書籍のほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山の知識、知恵、アドバイスなどが書かれていますので、是非実際手に取って読んでいただきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みをダイレクトに解決する何かと出会えるかもしれません。
SS(書籍最高)!
それではまた。
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