こんにちは!CATER(ケイト)です。
今回は、スティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」を紹介していきます。
家族や仕事に依存しない生き方がしたい
相手の行動が理解できず怒りが湧いてくる
嫌なことがあればイライラするのは当然でしょ!?
この書籍は、対処療法ではない本質的・普遍的な指針を教えてくれます。一つの考え方が、千差万別の悩みの答えになるかもしれません。
この書籍の初版は1989年。(日本での出版は1996年)
30年以上も前に誕生した自己啓発本ですが、その内容は廃れていくことはなく、むしろ時代を問わない重要な考え方であるということが浮き彫りにされてきました。
2020年という、つい最近にも新書版として新たな形で発信されるほど、根強い人気を誇る当書籍。
毎日、毎月、毎年と名著が生まれる中で、淘汰されることなく今でも書店に残り続けていることが、「7つの習慣」という書籍が持つ力強さの何よりの証左です。
「自己啓発本殿堂入りの1冊」とも言えます。
今までそうだったように、これからも時代、場所、人を選ばずに魅了し続けるでしょう。
そんな名著「7つの習慣」を少しだけ紹介したいと思います。
- 本ブログでは、私が実際に読んだ書籍から「勉強になった!」「気持ちが軽くなった!」などの学びや感動を紹介しています。
- 普段読書をしない方にも紹介する書籍の魅力が伝えられるようなブログ運営を目指しています。
- 願わくば、本ブログで紹介した書籍に興味を持ち、好きになっていただけると嬉しいです。
- よろしければ感想など、コメント欄にコメントをお願いします。
それでは本題に入ります!
家族や仕事に依存しない生き方がしたい
依存、とはすなわち相手無くしては生きていけない状態を指します。
・家族のことはもちろん好きだ。親には育ててくれた恩があり、所帯を持ったからには養っていかなければならない。ただ一方で、縛られてる感覚もあるが、それは仕方ない
・自分で選んだこの仕事。正直楽しくないけど、辞めたらまた就職できるかわからない。収入が途絶えるのは考えられない。今よりも大変な思いをするくらいならとりあえずこのままにしよう
現代社会には、身を取り巻く様々な悩みや不安が蔓延っています。
将来の心配、職場での立場の弱さ、家族を養えない恐れ、、、
前提が”負”になってしまうと、自らの感情を押さえつけ、本当はやりたい行動をとる大胆さが失われ、それよりも「安定」を望むようになります。
特に日本人は「安定」について強い志向があるように思えます。
4月頃のニュースでも、親が子どもに就いて欲しい職業の1位に「公務員」がランクインしていたので、その志向の強さがわかるかと思います。
公務員・会社員がどうこう言うのではありませんが、「安定」が目標になってしまうと、そこには”依存”の影がちらつきます。
”諦め”に似た感情を抱きながらお互いにもたれ合う「相互依存」になってしまいます。
そのままでも構わない、という生き方ももちろんあるでしょう。
「安定した生活で家族を安心させてやれるのなら文句はない」と、多少の不満がありながらも耐えて努力し続ける姿は、それは賞賛されるべきことです。
ただ、「このままは嫌だ」と、本気で感じるのなら。
「環境に流されたままじゃなく、自分がやりたいと思うことをやりたい」と本気で実現を目指すなら。
とるべきことは1つ、「自立」です。
「自立」の態度について、著者はこのように表現しています。
「私は『自分自身と自分のもの』を大切にしよう。自分の仕事をきちんとこなし、本当の喜びは仕事以外に見出そう」
スティーブン・R・コヴィー|完訳7つの習慣 人格主義の回復
「自立」とは、「自分自身と自分のものを大切にする」こと。
自分より家族や仕事を優先に考えてはいないか?
家族や仕事が間違いなく自分にとっての最優先事項であり、幸福なのであれば、「主体的に考えている」「自立」していると言えます。
しかし、自分を蔑ろにしている感覚があるのなら、「それは”自立”ではなく”依存”なのでは」と疑ってみる。
家族も、仕事も、友人も、常識やモラル、法律からも一旦身を引き、”ゼロベース”で自分と向き合ってみる。
自分が一体、本当は何をしたいのか、何を欲しているのかを考えてみる。
当然ですが人間は社会的な生物なので、完全に自由奔放とはいきません。
働かなくては誰も衣食住の世話を看てはくれないし、生活は困窮していく一方です。
「法律なんて関係ない!」などと交通ルールを無視して車を好きなように運転したり、全裸で外を散歩したりしようものなら、逮捕云々以前に大変迷惑です。
自分の幸福を追求しながらも、社会のルールとはちゃんと折り合いをつける。
だから著者も「自分の仕事をきちんとこなし」と言うように、自分ができる社会貢献(仕事)も「自立」には欠かすことはできません。
「自立」は簡単なことではありません。
毎日の生活で手一杯、という方もいるでしょう。
社会を上手く生きていくための勉強や、時には自分の性格に合わないことを選択する必要も出てくるでしょう。
「続ける」ことへの迷いや辛さもあるはずです。
でも、そこで腐らずに。
「自立」を手にした時の素晴らしい景色に焦がれながら。
私も「自立」できるよう、日々できることを一つずつやっていきます。
相手の行動が理解できず怒りが湧いてくる
「パラダイム・シフト」という言葉があります。
「パラダイム」という言葉について著者は以下のように説明しています。
もともとは科学用語だったが、昨今はモデルや理論、認識、既成概念、枠組みを意味する言葉として広く用いられている。平たく言えば物事の「見方」であり、物事をどう認識し、理解し、解釈しているかである。
スティーブン・R・コヴィー|完訳7つの習慣 人格主義の回復
「シフト」は「次のレベルへシフトする」など、位置や状態の移行・移動と思っていただければ大丈夫です。
よって、「パラダイム・シフト」というのは「見方の移行」です。
余談ですが、以前”熱血”でお馴染みの松岡修造さんもこの言葉を使っているのを見掛けました。
彼の様な”メンタルお化け”も重要とする考え方、と紹介すればその説得力も増すでしょうか。
日常生活の中で、この「パラダイム・シフト」を体験することは可能です。
例えば貴方が、道端で老婆が倒れていて、その前を若い男性が走って通り過ぎて行ったのを見たとしたら、どう思うでしょうか。
「あの人には心が無いのか」「許せない」と、そんなふうに思うはずです。
しかし、例えば次のような状況が背後にあったとしたらどうでしょうか。
・ 老婆は倒れる直前まで酒を飲み歩きタバコをし、ところかまわず大声を出していた
・ 男性は次の電車に間に合わなければ、会社全体に多大な迷惑がかかる重大な責務を負っていた
・ 近くには他にも多くの人がいた
いかがでしょうか。
少なからず、状況の「見方」が変わるはずです。
このような、一面的な見方では不可能だった新たな「見方」ができる様になることを、「パラダイム・シフト」といいます。
他にも、公共の場で自分の子どもが騒いでいるにも関わらず一向に注意しない親、乗車したタクシーでぞんざいな態度をとる運転手、子ども同士の喧嘩などなど。
自分の常識と照らし合わせ、理解できなかった場合、怒りが込み上げてくるかもしれません。
しかし、そこでこちらも短絡的に捉え、感情的になるのではなく、相手の事情を推測ってみてください。
可能なら、何があったか尋ねてみるのが最も良いでしょう。
怒りが一転、許し、同情せずにはいられない背景を知れるかもしれません。
至極当然のことですが、人は自分が見た様にしか世界を見ることができません。
自らのレンズを通してでしか、世界・外界を認識することはできないのです。
そして、見方と人格を切り離すことはできません。
「見方とは人格であり、在り方」なのです。
もちろん、理解しようと努めても、それでもできないこともあるでしょう。
ですが、最初から理解を放棄してしまえば、許し、受け入れることなどとても困難です。
理解のためには、こちら側の精神的な成熟も必要です。
一見理解できないことでも拒絶せず、考えを巡らせ、歩み寄らなければならないからです。
怒りたくて仕方のないこと、呆れ返ってしまうことがストレスになっている。
そんな中、自分の中で「パラダイム・シフト」を起こすことができれば、自らの精神の安定にも、困っている誰かの手助けにも、反発していたのが一転互いの協力にもなるかもしれません。
「パラダイム・シフト」について、著者のこの一言が全てを内包しています。
問題をどうみるか、それこそが問題なのである。
スティーブン・R・コヴィー|完訳7つの習慣 人格主義の回復
嫌なことがあればイライラするのは当然でしょ!?
生きていれば、当然嫌なこともあります。
家族関係、友人・恋人関係、職場関係、仕事の内容によっては日々不快な思いをしなければならない職業もあるでしょう。最近ではカスハラ(カスタマーハラスメント:客による嫌がらせ行為)という言葉も出てきました。
ですが、もしも身に起こる”嫌なこと”が全て制御可能だとしたら?
実は、これも考え方一つで可能なのです。
それは、「気にしない」ということ。
は?と思われるかもしれません。
でも、本当にこれだけなのです。
嘲笑せず、もう一度本気で考えてみてください。
もし、身に起こる嫌なこと全てを「気にしない」ことができたとしたら。
例えば、貴方の周りで「なんでこれが許せるの!?」という人がいませんか?
トイレの後手を洗わずに出る人、落ちた物を食べる人、浮気されても怒らない人、マンガの巻数がバラバラの人などなど。
貴方にとって到底考えられないことは、別の人にとっては特にどうでもいいこと、ということがあるかと思います。
つまり、「貴方が気になることというのは、貴方が気にするから気になる」、ということなのです。
怒りも悲しみも、不快感も、傷心も、他でもない貴方自身が選んだから、貴方に影響があるのです。
もちろん、喜怒哀楽全てを「選別できる」としたら、悟りでも開かない限り不可能でしょう。
嫌なことがあれば不快感を感じるのは、それは自己防衛手段として備わった貴方の身体の仕事なのだから、排斥しようとすることも間違っています。
ですが、このメカニズムを知っているだけで、外界で起きたことに感情を必要以上に振り回される必要がなくなります。
生活の中で、上司に理不尽に怒られた、パートナーに心無いことを言われた、客に酷い対応をされたなど、様々な”嫌なこと”が起きます。
そこで一歩身を引いて自分を観察し、「自分が人にはしないような嫌なことをされたから気にしているんだな」「自分はこういうことを気にする性格をしているんだな」と気付けるようになります。
不快になることを自分で選んでいるのに、それに振り回されるのはおかしな話です。
瞬間的に感じる不快感は避けられないとしても、自分の性格を客観的に見て、不快感を選んだ自分を認める。
そこで、必要があれば喜怒哀楽で表す。
「主体的な人にとって、感情は動詞」なのです。
また、もし「パラダイム・シフト」を起こせるとしたら、相手の一見理解不能な言動が認められることがあるかもしれませんね。
まとめ
1|家族や仕事に依存しない生き方がしたい
→ 「自立」こそが解決策。弱気になって「安定」を望んでしまうと依存から逃れられないから、縛られずとも生きていける力をつける
2|相手の行動が理解できず怒りが湧いてくる
→ 自分の中で「パラダイム・シフト」を起こす。相手の事情を推測ったり訊ねてみることで、許し、協力できる可能性もある。こちら側の成熟が必要
3|嫌なことがあればイライラするのは当然でしょ!?
→ 気にすることを選んだのは自分だと気付く。必要以上に振り回されることはせず、感情も自分で選ぶ
以上でスティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」の紹介を終わります。
いかがでしたでしょうか。
かなり人間の本質的な課題を取り上げているので、どなたにとっても心当たりがあったと思います。
そして、その上で心穏やかになれるような実践的な考え方が紹介されていたのではないでしょうか。
私も初めて読んだとき、家族に意見を合わせていた今までの人生の違和感だとか、ある情報が入った途端に対象への考え方が変わったあの感覚とかの解像度が急に上がった感覚は衝撃でした。
「許せないことも許せるようなったとして考えてみる」という項目は、「なんであいつのために自分が折れなきゃならないんだ」と思っていた自分に気付きましたし、もし本当に「全てを許せる」状態にあったとしたら、どれだけ生きやすいのだろうと、思いを馳せたりもしました。
人生の重要な気付きも、カタルシスも体験できた、とても大切な一冊です。
今回紹介した内容は書籍のほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山の知識、知恵、アドバイスなどが掲載されていますので、是非実際手に取って読んでいただきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みをダイレクトに解決する何かと出会えるかもしれません。
SS(書籍最高)!
それではまた。
コメント