こんにちは!CATER(ケイト)です。
今回は、植原亮著「思考力改善ドリル 批判的思考から科学的思考へ」から学んだことを紹介していきます。
柔軟な考え方が苦手…
考えるときの邪魔になっているものは何?
「科学的である」って言われてもイマイチわからない
どういうものが「科学的」?
私は情報に左右されやすいのかな?
実際に勘違いしている情報って何?
SNSで簡単に情報を発信・収集する時代だからこそ、その真偽について責任を持ち、慎重にしたいですよね。
本書を読む前までは、”科学的”と言われても正直よくわからなかったです。
しかし読後は、”科学的”というものがどれほど困難であり、何人の人から意見を出され、実験・失敗を繰り返された上で発表されるかということが、身に染みてわかりました。
対して、我々が普段発信し、また収集している情報のなんと脆弱なことか。
目の前にある情報がどれほど”科学的”か、そうでないかをよく考えなければならないと痛感したと同時に、その考え方を養うための例題も豊富にあったので、本書に出会うことができて本当に良かったと思う次第です。
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それでは本題に入ります!
思考の枠組みの良し悪し
誰にでも思考の”枠組み”というものはあります。
そのせいで柔軟な考え方ができなかったり、ひねったクイズの解答が浮かばなかったりするのです。
その頭の働きのことを「スキーマ」と言います。
例えばお店に行った際、「商品を手に取る→レジに持っていく→お金を払う→商品を持って出る」という流れは大体同じです。
「欲しい商品の場所がわからない→店員さんに訊く」「スイング扉が設置されている→その先に一般客は立ち入ってはならない」と、いちいち思考せずとも理解できるのも、スキーマのお陰なのです。
ここで、毎回お店ごとにルールが違っていては、スムーズに買い物はできません。
スキーマが働いていなければ、その都度悩んでしまうことになり、生活が大変不便なものとなってしまいます。
私も最近改めてスキーマを認識する機会がありました。
私はラーメンチェーン店の「天下一品」さん、通称「天一」が好きなのですが、近所にないのです。
だから、遠出した時にその近くに天一があると、つい足を運びたくなってしまいます。
この間も天一に行った時のこと。
何の迷いもなく、入店後すぐに出入り口付近の機械の前に進んでしまいました。
それまで私が行ったことのある天一では、全て出入り口付近に設置してある券売機で食券を買って店員さんに渡すシステムだったので、どこでも同じシステムであると”スキーマ”を作っていたのです。
結局その出入り口付近の機械は精算機で、店員さんに「カウンターのディスプレイから注文してください」と言われるまで気付きませんでした。
このように、我々は生活を通じてスキーマを作るからこそ、考えることなく自然と行動することができているわけですが、一方で知らずしらずの内に思考を凝り固めてしまっているわけでもあります。
ですので、なるべく脳を疲弊させないためにスキーマを利用している状態を”オートモード”と言えるのに対し、意識的に”枠組み”からはみ出してアイデアを生み出そうと脳を働かせる状態は”マニュアルモード”と言えるでしょう。
この”オート”と”マニュアル”の切り替えを上手くできることが、「円滑な社会生活」と「柔軟な問題解決」を両立させるために必要なことであると言えるでしょう。
さて、では突然ですがここで1つ問題といきましょう。
紙の中心に円状の穴を空けます。その穴の大きさはハンドボールが丁度通過できる大きさです。さて、この穴にサッカーボールを通過させるにはどうしたら良いでしょうか。紙を折ったり破いたりしてはいけません。
「スキーマ」の存在を自覚し、そこから外れた考え方を意識してくださいね。
答えは下の「まとめ」の後に発表します。
科学的思考を身に付ける
科学的思考という言い方は少し難しいですが、要は「ちゃんとした根拠をもって考える」ということです。
本書を読むまでは曖昧に聞こえていた「科学的思考」という言葉も、その慎重なアプローチ方法を説明された後では、どれだけ信頼に足るものかを学ぶことができました。
そして逆に、「非科学的」または「擬似科学的」な考え方を信じることの危うさを痛感することもできました。
では説明していきます。
まず、「科学的」と言われるためには、「研究」や「実験」が必要です。
どのような状況下で、どんな準備をし、どんな反応が起きて、どのように終結したか。
これを論文にまとめるなどし、そしてその研究結果を他の学者仲間に発表する必要があります。
ただ一人の学者がたまたま1回限りで起こした結果だけでは、とても”科学的”とは言えないのです。
他の学者仲間にまとめた論文を発表し、研究内容を批判的に見てもらうことを「査読」というそうです。
そして、その論文を基に、他の学者が同じ手順で同じことをしても、全く同じことが起きるかどうかを確認する過程を「追試」といいます。
ここで、別の者にも同じことが起こせるという「再現性」が認められなければ、「科学的」とは言えなくなります。
それほどまでに、「科学」というのは慎重で、信頼に足るものでなければならないのです。
では逆に、どのようなものを「非科学的」「擬似科学的」というかを説明します。
例えば、ノストラダムスの予言のようなものはこれにあたります。
理由は2つ挙げることができ、まず、その予言詩の数は膨大で、1000篇を超えるそうです。
いくつも用意(?)された予言の中から現実の出来事で似通ったものを抽出し、それを「予言のとおりだ!」と主張することも不可能ではありません。
そして、もう1つの理由が、その記述が曖昧であること。
ノストラダムスの予言が話題となった「9.11」事件では、予言に記された「新しき岩2つ」と「新しい都」がそれぞれ「ツインタワー(世界貿易センター)」と「ニューヨーク」を指しているそうですが、正直言ってこじつけ甚だしい印象です。
”予言”というものがいかに「非科学的」かお分かりいただけるかと思います。
また、別の例として紹介されていたのは、著名な心理学者であるジークムント・フロイトの精神分析への批判です。
フロイトは、「精神的に不安定な人は幼少期の親に対する性的欲求を今も持っているからであり、しかもそれは無意識の内に抑圧されていることがある」と主張しています。
この主張がいかに擬似科学的であるかは、「精神的に不安的な人」に対し、「あなたは幼少期の親に対する性的欲求が今でもありますか」という質問の答えからわかります。
「はい」と答えた場合はそのままフロイトの言うとおりなので、”正しい”ことになります。
しかし「いいえ」と答えた場合にも、それは「無意識に抑圧している」とみなされ、これも結局は”正しい”とされてしまうのです。
つまり、上記のフロイトの主張はどう転がっても”正しい”と言わざるを得ない、全く科学的ではないものなのです。
さて、長々と説明させていただきましたが、「科学的」と「非科学的・擬似科学的」がいかに乖離したものであるか、少しはお伝えすることができましたでしょうか。
「科学的である」ということがいかに厳格であり、険しい道程が必要とされているものなのか。
一方で、一見正しい・それらしい主張も、少し冷静になり引いた目で眺めてみると、如何様にも捉えることができる事柄を都合良く解釈しているだけであると気付くことができます。
科学的アプローチを好まない人に限って、大衆向けのマスメディアでショッキングな事例を引っ提げて声高に持論を展開していることがあるそうです。
ある主張に触れたとき、そのソースはどこなのか、曖昧な言葉を使っていないか、情報の切り取り方が恣意的ではないか、再現性はあるのかなど、自ら調べる習慣を身につけないと、痛い目に遭いそうです。
センセーショナルな情報に、発信者の都合の良いように扇動されることがないよう、冷静に判断したいものです。
間違いやすい情報について
さて、最後は上の2つの項目でお伝えした「スキーマ」と「科学・非科学」を実際に意識し、巷の情報について判断してみてください。
・ アイスクリームが売れると水難事故が増える?
横軸がアイスクリームの販売数、縦軸が水難事故の件数を表すグラフを作ったとします。なんとそこにはほぼ直線の強い相関関係があるのです!アイスクリームが売れることで水難事故が起こるという因果関係が発見されました。ということは、アイスクリームの販売を一切停止すれば水難事故は0になることと同義なのです。いやぁ、被害者が出なくなって良かった…?
…とはなりませんよね。
もちろん、アイスクリームの売上げが上がるのも、水辺に出かける人が増えるのも、単に気温の上昇、つまり「夏」が原因なのです。
一見アイスクリームと水難事故には因果関係、強い相関関係があるように見えますが、実際は「擬似相関」があるだけなのです。
この例は簡単ですが、巷には巧妙に、しかも悪意なく蔓延している誤った情報があります。
以下、ほぼ羅列にはなってしまいますが、参考としてください。
・ 白髪を抜くと白髪が増える?
若い頃になかった白髪。気になって抜こうとするも、「抜くと増える」と言われているのでできれば抜きたくない。しかしその実、最初の1本が生えてきた時点で他の場所にも生えてくるのは当然のこと。抜こうが抜かまいが白髪が生えてくることは変わらない。ただし、毛抜きは頭皮にダメージを与えてしまうので、そういった意味では抜かない方が良い。この理論は「毛を剃ると濃くなる」も同じ。
・ 血圧と収入
血圧が高いほど収入も高くなるというデータが存在した!やはり健康を省みず寝る間も惜しんで努力できる人が成功を獲得できる?…これも擬似相関です。一般的に、年齢が高くなれば血圧も上がりますし、また年収も働く期間が長いほど上がります。
・ 牛乳消費量とがん
牛乳を消費するほどがんになる人の割合が高い!つまり牛乳は危険な飲み物だ!…はい、そうです。こちらも擬似相関です。がんになる人の割合は高齢になる程上がります。むしろ牛乳をよく消費する人は寿命が長くなると言えるのです。ただし、牛乳を飲む人は元から健康志向が高いことが原因かもしれませんし、もしかすると本当に発がん性があるのかもしれませんが、それは未だに結論づけられてはいないそうです。
・ 非行と深夜テレビ
非行を行う少年の趣向を調べると、深夜に放送されている暴力性の多いものを好むことがわかった。逆に言えば、深夜テレビの視聴をやめさせれば非行に走らせるリスクを減らせる?…これは因果関係が逆のパターンです。暴力の多いプログラムを見たから非行に走ったのではなく、元々暴力的なものを好んでいたために、そのような内容のプログラムを好んで観ていたのです。
まだまだ本書にはさまざまな誤解されやすい事例が紹介されていましたが、とりあえずここまでとします。
実際に私も友人から、「毛を剃ると前より濃くなるらしいよ」とか、「牛乳は発がん性があるから飲まない方が良いよ」と、アドバイスをもらった経験があります。
一見して正しい情報は、悪意なく発信されてしまうことがあるということです。
入ってきた情報はただ鵜呑みにするのではなく、どれだけ信用に足るものなのかを自ら調べて判断することが重要です。
まとめ
1|思考の枠組みの良し悪し
→ 思考の枠組み(=スキーマ)のお陰で円滑な社会生活ができる反面、創造的な活動が阻害されやすい。ほぼ無意識的思考の”オートモード”と、意識的思考の”マニュアルモード”を場面に合わせて切り替えられることが大切。
2|科学的思考を身に付ける
→ ”科学的である”ことは、厳格な根拠に基づく必要がある。ある情報に触れた際は、それがどれほど”科学的か”を考え、調べることができれば、発信者に都合が良いように扇動されるリスクを減らせる。
3|間違いやすい情報について
→ 一見して正しそうなデータも、よく考えてみると因果関係がなかったり、因果関係が逆になってしまっているパターンがある。印象に操作されることなく、その”科学性”を見極められることが重要。
では、第1項で出題したクイズの正解です。
正解は、「サッカーボールの空気を抜いてから穴に通す」でした。
以上で植原亮著「思考力改善ドリル 批判的思考から科学的思考へ」の紹介を終わります。
いかがでしたでしょうか。
「スキーマ」「科学・非科学」について頭では理解できていても、では実際に情報に触れてみると自分がいかに印象に左右されていたかを改めて認識できたかと思います。
これからは、ぱっと見ただけで簡単に物事を判断することがないよう、私も”マニュアルモード”をよく使って生活していきたいと思いました。
今回紹介した内容は書籍のほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山の知識、知恵、アドバイスなどが掲載されていますので、是非実際手に取って読んでいただきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みをダイレクトに解決する何かと出会えるかもしれません。
SS(書籍最高)!
それではまた。
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