友人が多いことの弊害とは?知識や技能をひけらかすことは野暮?流行を追う心理と品格の関係性も紹介!【坂東眞理子著|女性の品格】

こんにちは!CATER(ケイト)です。

今回は、坂東眞理子著「女性の品格」から学んだことを紹介していきます。

友達が多い人って幸せだと思うし、羨ましい。
何か間違ってる?

多くのことを知っていたりできたりすることはすごいこと。
でも、それを誇示するのはいただけないんだよな。

今はあのアイドルが人気だけれど、1年後まで残っているかな。
流行を追うばかりなのはなんだか疲れるな。

CATER

日常生活の中で、なんだか引っ掛かることってありますよね。
もしかしたら、”品格”というものさしで考えてみるとそのモヤモヤの理由がわかってすっきりするかも知れませんよ。

私は、生物学的には男です。

仰々しい言い方をしましたが、特にLGBTQに当てはまるわけでもなく、いわゆる”ノーマル”です。

最近は性別に対する見方がキツくて参っちゃいますね。

様々な方がいるので仕方のないことなのでしょうが。

さて、本書はタイトルの通り、女性の品格について紹介されています。

男のあんたがなんで手に取ったんだ、と思われるかも知れませんが、私は女性というものに憧れのような感覚を抱いているのです。

例えば、ゲームで男・女を選択できるのであれば間違いなく女性キャラクターにしますし、ふいに日常の中で女性っぽい仕草を取り入れては心の中で微笑むことをしているのです。

ブログ上の名前のCATERというのも、折角ネット上で違う自分になれるのだから女性名にしようということで、好きな女性キャラクターから拝借しています。

本ブログの雰囲気も、なるべく女性らしくなるようになれば良いなと思って作りました。

文章まではとてもできませんが。

本当に、性というのは不思議なものです。

余談ですが、大学の講義で教授が言っていた言葉がとても印象的なので少し紹介したいと思います。

「”性”とはグラデーションのようなもの。赤と青と言えども絶対的な赤も青もないように、”男”にも”女”にも絶対的に”男”だ”女”だと言えるものはない。そして赤から青へのグラデーションも分けることができないように、ここまでが”男”、ここからが”女”という分け方はできない。」

今では顔も名前も覚えていませんが、この言葉は人生の大事なものとして、一生心に残り続けると思います。

私語りが長引きましたが、本書は女性のみならず、男性、ひいては”人”全般の気品に通用する教訓や考え方が書かれています。

品格のある女性そして人とはどういった人のことを言うのか、どうすれば品格のある人になることができるのか。

皆さんもぜひ一読して、自分なりの”品格”について考えてみていただきたいと思います。

  • 本ブログでは、私が実際に読んだ書籍から「勉強になった!」「気持ちが軽くなった!」などの学びや感動を紹介しています。
  • 普段読書をしない方にも紹介する書籍の魅力が伝えられるようなブログ運営を目指しています。
  • 願わくば、本ブログで紹介した書籍に興味を持ち、好きになっていただけると嬉しいです。
  • よろしければ感想など、コメント欄にコメントをお願いします。

それでは本題に入ります!

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友人が多いのは良いことか

友人が多い人を見ると、幸せそうです。

休日は誰かとどこかへ出掛け、思い出を共有し、人生が充実しているように思えます。

しかし、友人が多いことは幸せなことか、今一度考えてみてください。

恐らく、しょっちゅう会ったり連絡をしたりするということは、育ってきた環境なり現在の生活圏なりが”近い”のではないでしょうか。

確かに、気の置けない仲間と時間を共有するというのは楽しいものです。

その時間があるからこそ、日頃の活動を頑張ることができるということであれば、それは間違いなく有意義なことです。

しかし、ただ楽しいだけ終わってしまっては享楽に過ぎません。

他人と会う時間を糧にするものでなく、またその時間から何かを得ようとするのでもないのなら、その時間には生産性がありません。

生産性を求めて人と会うのは打算的と思われるかもしれませんが、この打算とは「人生を充実させるかどうか」を考えるという意味です。

本書では著者が荘子の名言を引用していました。

君子の交わりは淡きこと水の如し」というものです。

立派な人の他人との付き合い方はまるで水のようにさっぱりしている、という意味です。

著者も以下のような人間関係を大事にしています。

贈り物をしなくても、年賀状を忘れていても、大事にしたい友人はいます。たまに会ったときに懐かしがり、温かい言葉を掛け合う友人もいいものです。また、たまに一年に一回、二年に一回声をかけてくださる友人も嬉しい存在です。(p.42)

女性の品格|坂東眞理子

毎日連絡を取り合う友人や毎月会うような友人がいなくとも構わないのです。

ほんの数年に1回だけ、元気にしているかやりとりしたり会って会話に花を咲かせたりするだけで満足できる関係も、立派な友人ではないでしょうか。

やり取りの数が多いほど、会う回数が多いほど、親しい友人というわけではありません。

”立派な人”は、淡白だが清々しい人間関係を好むのです。

また、上の荘子の言葉には続きがあります。

小人の交わりは甘きこと醴の如し

意味は、劣っている人の他人との付き合い方はまるで甘酒のようにねっとりしている。

自分の知識や技能を見せびらかすことについて

数多くの知識を持つ人ほど賢く見えます。

また、なんでもできる人ほど有能に見えます。

しかし、こちらが望んでもいないのに、何の脈絡もなく知識や技能を披露されても、苦笑いしかできません。

数多くの知識や技能を持っているからと言って、尊敬できるのとはまた別なのです。

本書内で著者は、能楽を大成した世阿弥が語ったとされる、風姿花伝の以下の言葉を引用しています。

秘すれば花、秘せざれば花なるべからず」。

隠せば花のように美しいものであるが、表現してしまっては美しくない、という意味です。

能楽というものをよくは知りませんが、舞台の演劇の1つで間違いないでしょう。

舞台上で、「すごいと思われたい、注目を集めたい」から、劇の内容に沿わないにも関わらず自分がやりたいことをやってしまっては、せっかくの劇も台無しです。

出せるものは出す。

しかしそれは、脈絡に適っている上で表現するからこそ、初めて人々を魅了することができるのです。

「全てを出し切る」のが美しいのではなく、「”適した場所で”全てを出し切る」からこそ美しい。

また、実力を隠し持っている姿でこそ表現できる「奥ゆかしさ」「底知れなさ」があるのです。

従って、場面によっては、自らの承認欲求をぐっと堪え、黙っている方が「良し」とされることがあるのです。

むしろ、周りの状況を見て、自分が出るべき機会の良し悪しがわかるようになり、適切な場面・適切な力量で表現できるからこそ、その人が立つ舞台の”名プレイヤー”となれるのです。

また本書では、今紹介したように、前の項目の荘子の引用も、今回の世阿弥の引用も、著者は最適な形で使用しています。

きっと他の言葉もたくさん知っているでしょうが、それでもこの言葉だけを抜粋して使用したのです。

このように、脈絡に合わせて適切に使いこなし、かつその教養の広さを想像させる著者のような表現ができることこそ、”花”と言うのでしょう。

流行に詳しくない人は面白くない?

エンタメやネットのニュースを眺めていると、毎週ように新しいグループやアイドルを紹介しているように思えます。

彼らも彼らで厳しい競争を生き抜き、日々のレッスンやら演技を必死にやっているからこそ、私のような芸能にあまり興味のない”僻地”の者の目にまで届くような活躍をされているのでしょう。

「〇〇ってグループいいよね」「××の曲最高じゃない?」などの会話は、学生時代ついていけなかった悲しき思い出があります。

以前、テレビで「『流行に疎い=かっこいい』と思っている人が嫌い」という話題をやっていて、私にも心当たりがあって「確かに鼻につくな」と思ったのを覚えています。

それ以来、知らないことに対する反応・態度に気を付けるようになりました。(笑

さて、では流行に敏感なことは”品格”としてどうなのか。

そしてなぜ、「流行に疎い=かっこいい」の構図が生まれるのかを紹介します。

著者が人を尊敬できる場面の1つに、「自然の草木や花の名前を知っている」ということを挙げています。

日本には日本古来の自然があり、また季節毎にその様相は移り変わります。

人は目新しいことに強く惹かれる性質があるので、気にしない人にとって自然はごくゆっくりと変わるもので、しかも同じ様に見えるので、特に面白味のないものかも知れません。

しかし、日本の草木、花は、遥か昔からこの国を彩ってきました。

モノの名前を覚えるというのは、勉強以外では、興味がなければやろうとも思えません。

草木や花の名前を知っているというのは、自然に対して丁寧に、そして親しみを持って接している人だという証左でもあります。

迅速に過ぎ去る煌びやかな流行に目を奪われることなく、普遍的なものを楽しむことができる”理性的”なものに、品格は宿るのでしょう。

流行について疎い感じを出せば、まるで達観している”ように思われると思っている”から、それをかっこいいと思ってしまうのだと思います。

確かに、実際に達観できていればとてもかっこいいことですが、それをただの一般人が披露したところで虫唾が走るだけです。

知らなければ高飛車にならず、単に「知らないんだよね」と言い、「よければ教えてくれる?」と言えば良いのです。

しかし、流行を全く知らないというのも不自然な話なので、そこも多少注意が必要ですが。

かく言う私も、本書を読んで初めて、流行を追うことの虚しさ、自然を楽しむことの強かさに気付くことができました。

植物図鑑を手に近所の河原や公園に散歩に出て、今の時期の草木や花を見つけるというのも、案外楽しいかも知れません。

流行を追うのはほどほどに。

そして自然などの普遍的な事物を楽しむ姿勢こそ、”品格がある”と言えるのではないでしょうか。

まとめ

1|友人が多いのは良いことか

→ 「君子の交わりは淡きこと水の如し」。友人が多いからと言ってそれは良いことではない。

2|自分の知識や技能を見せびらかすことについて

→ 「秘すれば花、秘せざるは花なるべからず」。自分の知識・技能は脈絡の上で適した表現でこそ輝く。出し惜しみすることがむしろ良さになる。

3|流行に詳しくない人は面白くない?

→ 目移りするような流行ばかり追っているのは品がない。自然を愛するように、理性的な感覚を楽しむ人にこそ品格は宿る。

以上で坂東眞理子著「女性の品格」の紹介を終わります。

いかがでしたでしょうか。

私は正直、友人と呼べる人は少ないと思います。

誰かと外食に行くことも、この上半期だけで言っても恐らく3、4回だったと思います。

それくらい、一人でいることが好きですし、誘われる外出にもそれほど興味が出ませんでした。

それでも、本書のように、年に一度も連絡しないような人と久々に会ったり、来年会う約束をしたりします。

そういう関わりはとても好きなんですよね。

友人が少ないことがコンプレックスの時期もありましたが、本書を読んで本当に心が救われました。

友人ばっかり多くても、外食や結婚式のご祝儀ばかりで苦しいですしね。

これからも”淡い”繋がりを大事にしていこうと思います。

今回紹介した内容は書籍のほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山の知識、知恵、アドバイスなどが掲載されていますので、是非実際手に取って読んでいただきたいと思います。

もしかしたら、あなたの悩みをダイレクトに解決する何かと出会えるかもしれません。

SS(書籍最高)!

それではまた。

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