こんにちは!CATER(ケイト)です。
今回は、成毛眞著「1秒で捨てろ!」から学んだことを紹介していきます。
最近友人がよく結婚式を挙げている。
おめでたいことだけど、正直もう…。
お金に困っている人から頼まれたら、やっぱり助けてあげたくなる。
だけど何度も頼りにされるのは困るんだよな。
スマホ、テレビ、、
毎日色々な情報に触れているけれど、もし意見を求められたとしたら上手に答えられない。
物だけでなく、人間関係も情報も、断捨離することで人生はもっとすっきりしたものになります!
皆さんも”こんまり”を目指しましょう!
「1秒で捨てろ!」とは、とてもインパクトのあるタイトルです。
皆さんは物は多い方ですか?それとも少ない方ですか?
私は物は少ない方が整理の必要もないし部屋を広々と使えるという考えなので、なるべく買わないようにしています。
確かに、物を買う時はドーパミンが出て幸福な気持ちになることはわかるのですが、それも結局は一瞬のことで、少し経てばまた新しいのが欲しくなったり他人と比較して劣等感を感じたりすることにもううんざりしてきました。
今は喜んで白旗あげることにしています。(笑
吉田兼好の「徒然草」や、”世界一貧乏な大統領”で有名となった「ホセ・ムヒカ」の書籍を読んで、消費社会に振り回されていた心に気付くことができ、それ以来物の所有や断捨離について、よく考えるようになりました。
本書も「捨てる」ことについて述べている書籍ですが、どちらかと言えば物というよりは心理的な荷物について語っています。
本書内で著者は、常に流行のモノや最新のデジタル機器を所有・消費することを勧めており、そこはさすが一流ビジネスパーソンの考えることだなと思いました。
何かを選ぶということは、それ以外の全てを捨てることと同義です。
何に時間を割くべきか、何とは一切関わらないべきか。
私も本書を繰り返し読み、著者の即決力を真似ていきたいと思います。
- 本ブログでは、私が実際に読んだ書籍から「勉強になった!」「気持ちが軽くなった!」などの学びや感動を紹介しています。
- 普段読書をしない方にも紹介する書籍の魅力が伝えられるようなブログ運営を目指しています。
- 願わくば、本ブログで紹介した書籍に興味を持ち、好きになっていただけると嬉しいです。
- よろしければ感想など、コメント欄にコメントをお願いします。
それでは本題に入ります!
外出の断捨離
皆さんは、結婚式に出席されたことはあるでしょうか。
私は今のところ、親に連れられて出た結婚式を除けば、一度だけ友人の結婚式に招待されて出席した経験があります。
招待を受けたのも出席したのも、今のところその一度きりです。
大学時代からの友人で、在学中から「結婚式はお前のだけ出られればいい」と言っていた記憶があります。
まあ、そもそも友人が少ないので招待がないのは当然ですが。(笑
一方、最近同僚の結婚報告を耳にすることが多いです。
最近ある同期と話したところ、既に5人の同期の結婚式に出席しており、お金が飛んでしまって大変そうです。
私はまだ一度も同僚の結婚式に誘われたことも出たこともありません。
寂しさが微塵もないわけではありませんが、だからと言って積極的に関わろうともしてこなかったので当然のことですが。
さて、そんな私ですが、本書から結婚式についての強烈な一言を学びました。
それが、「結婚式に行くバカ、葬式に行かぬバカ」です。
以前、テレビ番組の街頭インタビューか何かで、「何度か結婚式に参列してきたが、正直やっていることはどれも変わらないので飽きる」と答えている方がいて、友人が多いというのも大変だな、と思った記憶があります。
確かに、結婚式に誘われるのは嬉しいことだと思います。
友人が、自分の人生の晴れやかな瞬間を見て欲しい、一緒に祝ってもらいたいという、感謝を表す場でもあるとは思います。
ただ、”生産性はない”。
著者の考えと一緒なのですが、「式」とあるものは大抵じっとしなければならずつまらないものなので、極力避けたいのです。
私が一度だけ結婚式に出席した理由も、もちろん一番は「一緒に祝いたい!」というものです。
それくらいその友人と仲が良かったから、2次会以降もずっと、主役と同じ場でお祝いできました。
ただ、少なからず「結婚式を一回くらいは知識・経験として体験しておきたい」「一度も友人の結婚式に参加したことがないというのも印象が悪い」という、打算的な面もあります。
だから、「お前の”だけ”出られればいい」なんて言っていたのです。
今も「当分出なくていい」と思っています。
皆さんは、「結婚式に行くのはバカ」という考えについてどう考えますでしょうか。
そして、もう一つの「葬式に行かぬバカ」。
この考えにも、なんとなくですが同意です。
結婚式と葬式。
どちらも「式」とはありますが、持つ意味合いが全く違いますよね。
ここでも著者は、「結婚式よりも、喪主や参列者に顔を覚えられる」「情報交換も可能」などの打算的な理由を挙げており、ビジネス上の利益を考慮していることも述べています。
しかし、それらの理由を差し置いても、葬式に参列することはもっと深淵なものだと思います。
弔い、敬意、お別れ、感謝、、、
葬式に出るというのは、人としての礼儀や常識を忘れない態度でもあると思うのです。
葬式に行かぬようにはならぬよう、今後の人生肝に銘じておきたいです。
さて、そんな一言を教えてくれた著者ですが、必要とあらばゲイバーにさえ行くそうです。
相手が楽しみ、喜び、その時間の共有が今後の自分の人生を充実させるものであると考えた結果であれば、そんな異空間さえ選びます。
だから、ただ一面的に「外出はしない方が良い」と考えるのはNGです。
ただ外出を嫌うのでは引きこもりと変わりません。
どんな空間、どんな時間が自分の人生を本当に豊かにさせるのか。
私もそれらを、もっと感覚的に、そして打算的に考えられるようになりたいと思えました。
人間関係の断捨離
あなたの周囲には、お金の無心をしてくるような人がいませんでしょうか。
私は幸い、今のところ常識的な人たちとのみ関われているので、金銭関係でトラブルになるような人とは縁がありません。
まあ、安定すぎる人たちとだけ関わるのも”リスク”がない分”リターン”が期待できないとも思うので、多少は交流の裾野を広げたいとは考えておりますが。
著者もお金の貸し借りを嫌っており、「”反社”的な人付き合いはもちろん、お金にルーズな人はバッサリ切るべし」と断言しています。
さて、ここでも強烈な一言を学びました。
それは、「貧すれば鈍する」というものです。
「貧する」というのは、モノが不自由な状態を言います。
お金や食べ物などの物質的な面もあれば、健康、時間、人間関係、教養など目に見えない面のことも指しているように思えます。
安定した人生の基盤というのは、自らを成長させる上では重要なものなのです。
だから、”ひもじさ”というのは、自らの人生の充実を阻害する毒であるとも言えます。
上の言葉に似たもので、「衣食足りて礼節を知る」というものがあります。
ギリギリの生活では、礼節を学ぶことはできない、ということです。
確かに、世の中を見ていると、理性的な人は余裕がある一方、感情的な人は生活も荒んでいるように見えます。
それはそうですよね。
もしも自分が、自分を守り生きていくことを優先しなければならない環境下にあったと想像したら、礼節なんぞ学ぶ機会も動機もあったものではありません。
豊かな成長・努力のためには、ゆとりも同じくらい大切なのですね。
だから、自分の生活に土足で入り込み、荒らすような人とは積極的に関係を断っていくべきなのです。
この言葉は、人、そしてお金。ひいては人生全体の重要な教訓ではないでしょうか。
情報の断捨離
皆さんは、普段どれだけの情報をインプットされているでしょうか。
日常生活の中では、インプットの機会に溢れています。
テレビ番組、SNS、新聞、ラジオ、、、
お仕事や家事の時間を除けば、インプットの時間が大半を占めているかと思います。
しかし、行うべきはインプットよりもアウトプットなのです。
インプットは、著者曰く、即使えることもあれば数年後に初めて使うこともあるので、ダラダラと時間を使いがちになってしまうとのことです。
対してアウトプットは能動的な活動なので、自ら発信しようとしなければならず、SNSなどやり慣れていない人からするとどのようにやれば良いかさえわからないかと思います。
しかし、やはりインプットだけでは折角得た情報も自分の中で整理し、洗練させていくことは困難です。
アウトプットには様々な恩恵があります。
まず、「言語化できる」というもの。
例えばあるニュースを聞いて感想を求められた際、「すごいと思った」「怖いと思った」しか出てこないとしたら、自分でよく考えようとしていないのか、よくわかってないのかと思われてしまいます。
普段から自らの言葉で情報を発信する習慣をつけて練習しておくことで、適した言葉でパッと答えることができるようになります。
また、「アウトプット前提」で情報を見るので、より真剣に情報を理解しようと努めることができます。
例えば絵画鑑賞のツアーに参加したとして、特にアウトプットのつもりもないままに見回ったとしたら、いざ感想を聞かれても「綺麗だった」「感動した」と、なんとも曖昧なことしか言えないかと思います。
対して、ツアー終了後に3分間絵画について発表する場があるとわかった上で鑑賞したとしたらどうでしょうか。
きっと絵の細かいところや時代背景、作者の人間性、他作品との比較など、血眼になって情報を収集し、まとめると思います。
アウトプット前提の情報収集は、だらだらした情報収集を回避する力があります。
加えて、「オリジナルな考え方ができる」ようにもなります。
自分に情報が入ってくる一方的なものではなく、発信する側に立つので、他と同じことを発信しても面白みもありませんし、誰からも興味も持たれません。
だから、ある情報と、自分の中に元々あった情報を組み合わせ、オリジナルな視点からモノを語る練習にもなるのです。
例えば、1匹の魚を目の前に置かれたとして、人によって思い浮かべることは様々です。
「この魚は天ぷらにしよう」「この時期だと恐らくロシアの近海で獲れただろうな」「不思議な色をしているな」「昔この魚を食べた料理屋で…」など、千差万別です。
このように、ある情報を得たとして、それについての感想・考えは人によって異なります。
それを言語化し、自分は他の人と違ってどのようなオリジナルな意見を発信するかと考えられる機会がアウトプットの場なのです。
今ではSNSで簡単に、しかも匿名でアウトプットが可能です。
何も大勢の前でプレゼンをするだとか、ビジネスの新アイデアを捻り出す必要はなく、ただ入ってきた情報に自分の色を付けて気軽にアウトプットすれば良いのです。
折角、日々様々な情報に触れているのに、そのままにしているのは相当勿体無いことです。
なので、ぜひ発信用のアカウントを作り、毎日一言でも発信する習慣を身につけることができれば、情報の収集力も思考力も、今よりグンと上がるはずです。
まとめ
1|外出の断捨離
→ 「結婚式に行くバカ、葬式に行かぬバカ」。人としての礼儀・常識は損なうことなく、同時に打算的に物事を考えられるようになる。
2|人間関係の断捨離
→ 「貧すれば鈍する」。人の努力・成長には同じくらい安定した土台が大事であるから、自分の人生の豊かさを損なうような人とは縁を切る。
3|情報の断捨離
→ インプットよりもアウトプット重視。オリジナルな視点で他者との違いを出し、情報を自分のものとする。
以上で成毛眞著「1秒で捨てろ!」の紹介を終わります。
いかがでしたでしょうか。
「1秒で捨てる」という即断力は、今まさに私が欲しい力の1つです。
というのも、毎回一応はパソコンの傍にストップウォッチを置き、時間を測りながらブログを書き進めているのですが、どうしても毎回時間を過ぎてしまうのです。
書いている途中で、「あれも書きたい」「もう少し上手く書きたい」と色々考えてしまい、結局時間を守れていないのです。
完璧な文章なんてもちろん無理なので、多少お粗末な出来であっても「ここまで!」とする潔さがあれば、その方がきっと作業効率も、集中力から来る出来の良さにも繋がるのだと思います。
「1秒で捨てる」を、私も体現していきたいと思います。
今回紹介した内容は書籍のほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山の知識、知恵、アドバイスなどが掲載されていますので、是非実際手に取って読んでいただきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みをダイレクトに解決する何かと出会えるかもしれません。
SS(書籍最高)!
それではまた。
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