「学ぶ」を今一度考える!”バカ”と”利口”を分けるものとは?”バカ”ならないためにできること!【養老孟司著|バカの壁】

こんにちは!CATER(ケイト)です。

今回は、養老孟司著「バカの壁」から学んだことを紹介していきます。

養老さんが考える「学ぶ」ってどういうこと?

”バカ”と”利口”の違いって何だろう

”バカ”にならないためにはどうすればいい?

CATER

養老さんは、「勉強ができても”バカ”な人はいる」としています

本著の初版はなんと2003年!

20年以上も前の書籍と知ってびっくりしました。

それでも「バカの壁」というタイトルを見聞きしたことがあるという方は多いのではないでしょうか。

本書は、「学ぶ」ことの真理・普遍的な意味を簡潔な文章とわかりやすい例を交えながら説明しています。

そして、どういう人を「バカ」と呼び、そうならないために何が必要かも紹介しています。

インパクトあるこのタイトルは、これから先の何十年もまた本屋の棚に並び続けるでしょう。

  • 本ブログでは、私が実際に読んだ書籍から「勉強になった!」「気持ちが軽くなった!」などの学びや感動を紹介しています。
  • 普段読書をしない方にも紹介する書籍の魅力が伝えられるようなブログ運営を目指しています。
  • 願わくば、本ブログで紹介した書籍に興味を持ち、好きになっていただけると嬉しいです。
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それでは本題に入ります!

INDEX

「学ぶ」とは何か(「知る」と「勉強する」の違い)

著者は東京大学医学部卒、名誉東京大学教授という肩書き。

すごいですね。

そして、学生に講義をしていた時、ほとんどの学生に対し、「勉強しない」よりも強く、「なぜ勉強するかを考えたことがないのだろうな」と、しみじみ感じたそう。

東大のお偉方にあっても「なぜ勉強するか」よりも成果主義的な傾向が強かったため、著者なりの「なぜ勉強するか」の大切さをどう伝えたものかと悩んだそう。

そして、そんな著者が1年考えた末に辿り着いた説明が、「『知る』というのは”ガンの告知”に似ている」ということ。

前提として、「知る」と「勉強する」は同じではなく、とても密接はしているがパラレルなものである、というのが著者の主張です。

「勉強する」というのは、ただただ暗記をするというものです。

そして「知る」というのは、自分のモノの見方・考え方がガラッと変わることを言います。

著者はこの違いを「ガンの告知」という表現を用いて説明しています。

若かろうが老いていようが、誰にでもガンの告知を受ける可能性はあります。

例えばあなたがある時、医者から「あなたはガンに罹っており、あと半年の命です」と言われたとします。

その時、窓の外に綺麗に咲いている桜が見える。

今まで春の度に何度も見てきた桜。

ただ漠然と来年も見られるものと思い込み、素通りしていた桜。

しかし、今見ている桜が人生最後の桜だとわかった時、同じはずの桜の見え方が、ついさっきの瞬間までとは全く別のものに見えるのではないでしょうか。

ある事柄を知った時、その前までとは世界の見方・考え方が全く変わってしまうほどの衝撃をもつもの。

これこそが「知る」ということであると、著者は言います。

「あなたはあと半年の命です」というのはあくまで”情報”です。

日頃ニュースで流れるトピックや学校で勉強した単語や公式などと同じように、人によっては無機質な情報でしかありません。

「知る」とは、触れた”情報”が自分に影響を与え、新たな視点で世界を見られるようになること。

もしも「知る」ということがなければ、狭い考えしか持てず、他人の目線に立って考える「思いやりの心」や「分別」が身につくはずがありません。

だから、勉強だけできてもダメですし、また、「なぜ勉強するか」と考えることも大事なのです。

カルト宗教にハマる人の中にはよく高学歴の人が見られると聞きますが、これも「勉強だけやってきた」ことの障害に思えます。

ここで、急ですが少し愚痴を言わせてください(汗

以前、仕事でどうしても関わらなければならない人で、アニメや漫画が好きな人がいました。

最近の作品まで全巻揃えているらしい人。

他人といくつかの作品の内容について会話していたこともありました。

しかしその人は、自らの過ちは棚に上げながら人に対しては重箱の隅をつつく横柄ぶり。

態度も話す内容も、私の今までの人生で人間性ワーストランクイン間違いなしの人物でした。

他にも、アニメばかり見ている引きこもりがいると聞くと、モヤモヤしてなりません。

私も僅かながら、好きな漫画やアニメがあります。

感動し、夢中になり、ふと思い出した時に胸が高鳴るような興奮が何年も続く、大好きな作品があります。

もし、私が苦手とする人たちの口から自分が好きな作品の名前が出たとしたら、反吐が出る気持ちです。

今回「バカの壁」を読み、そんな人たちの思考が少しだけわかった気がします。

彼らは、触れた作品をただ「情報」として楽しんでいるだけなのかもしれない。

「作者は誰で、OP・EDは誰で、声優が誰で、何話で誰と誰が戦って、何の技を使って勝った」

でも、あのキャラクターみたいに誠実に生きようとか、彼らの努力を真似しようとか、そういう思考にはならない。

もちろん作品の楽しみ方は人それぞれですし、私だって人の生活にケチつけられるような人物でもありません。

ただ、また同じような苦手とする人が現れた場合、「ああ、ただ覚えて満足する人なんだな」と納得できるので、随分と心が軽くなりました。

長々と失礼しました。

まとめとして、同じ情報に触れたとしても、それを「知った」とするか「勉強した」とするかは、自分で選ぶことができます。

ぜひみなさんもこれからは、ただ覚えるのではなく、「この情報から自分は何を知ることができるか」「なぜ学ぶ必要があるのか」をより深く考えてみてはいかがでしょうか。

”バカ”と”利口”の違いは何か

それでは、”バカ”とはどのような人間のことを言うのか、”利口”になるにはどうすればいいのかを紹介します。

皆さんは”バカ”と聞いて、どういう人を思い浮かべるでしょうか。

一般的に、テストの出来が悪い、物覚えが悪いなど、いわゆる「勉強ができない」=”バカ”かと思います。

逆に、成績優秀で仕事ができる人を”利口”とするでしょう。

著者は、この”バカ””利口”を測る方法について、社会的適応性があるかどうか、つまりは常識があるかどうかでしか見ることができない、としています。

頭の良し悪しのみで決まるものではない、ということです。

二宮尊徳(二宮金次郎)の言葉に「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」というものがあります。

どれだけ頭が良かろうが、利己的で他人の迷惑を考えられないのであればそれはただの悪人・犯罪です。

どれだけ夢を語り、目標高くとも、それに伴う実力(=知識、経験、技能)がなければ誰も見向きもしない無力に等しいです。

このように、二宮尊徳は社会における成功のために「良心」と「実力」の両輪が大事であると語りました。

これと同様のことを、著者は”バカ”にならないための大事な両輪を説明しています。

「知る」、つまりは心動かされる体験を積むことで新たな視点を得て、他人を思いやる気持ちが養われます。

「勉強する」、つまりは自らの体力・時間を費やして得た知識・技能水準が高いほど社会で活躍することができます。

どちらか一方だけでは”バカ”のままなのです。

自分の行為による他人への貢献や迷惑を分別できる「思いやり」と、自らの力で社会に影響を与える「能力」の2つを併せ持つことができる”常識”ある人のことを”利口”というのです。

DeNA創業者で代表取締役の南場智子さんという方の言葉に、「良質な非常識」というものがあります。

一見相反する言葉の組み合わせですが、これこそ社会において活躍できる人を表していると感じます。

”良質”というのは、広く人・時間・環境などにおいて恩恵があること。

そして”非常識”というのは、今までにない突き抜けた考え方ができること。

「知る」と「勉強する」を突き詰めてようやく辿り着ける境地でしょう。

養老氏が言う”利口”の最高峰こそ、「良質な非常識」を持つ人なのだと思います。

”バカ”にならないためには

では、具体的にどのようにすれば”バカ”にならずに済むか。

著者は脳の働き方からコツを教えてくれています。

著者の比喩によると、車でいうアクセルとなるのが「扁桃体」、ブレーキとなるのが「前頭葉」だといいます。

扁桃体というのは善悪の判断、不安、緊張、興奮などを司る部位で、「行動力」の源とも言えます。

(ちなみに「扁桃」とはアーモンドの和名で、形が似ていることから扁桃体という名前なんだそうです)

不安や絶望と聞くと哲学者キルケゴールの「死に至る病」という本があります。

簡潔に紹介すると、人は他の動物と違い、他者との比較により自らを嫌い、絶望し、人によっては自殺などの手段をとるので、一見そのような機能などない方が良いように感じるが、逆にその感性があるからこそ自らを鼓舞し成長できるのであるからむしろあるべきである、という内容だったと思います。

この本のように、扁桃体の活動が適正であれば、様々なことに積極的に行動できるようになります。

だから、もしも不安感が強いと感じる人は、すなわち扁桃体の活動が強く、行動力がある、ということになります。

本当は何かをしたり、学んだりしたいというエネルギーがあるのです。

その不安やイライラを塞ぎ込んでしまってはとても勿体無い。

前頭葉と上手に作用し合うことができれば、良い”常識”を養うことができるのです。

もし、何もする気が起きない、無気力な人がいるとしたら、扁桃体の活動が弱い可能性があるかもしれません。

そういう場合の解決案は以下で紹介します。

前頭葉というのは、行動の抑制、我慢、ストレスや不安感の減少機能があり、自らの欲望を抑える砦となります。

前頭葉について、大学で印象的だった講義があり、それは自然のセミを見た時と動画のセミを見た時とで、前頭葉の活動が全く違うというものでした。

もちろん前者の方が活動が活発になるので、家に引きこもるだけでなく外に出て、自然に触れたり五感を揺さぶるような実体験をしたりすることで前頭葉を活性化させることができます。

有酸素運動も前頭葉の活動に良いそうですよ。

以上より、”バカ”にならないためには、扁桃体と前頭葉の活動を最大化することが重要なのです。

分かりやすく言えば、「よく学び、よく遊ぶ」状態。

この状態を維持できれば、分別を弁えながらも成長意欲を持つ人として、つまりは良い”常識”をもつ人として、晴れて「バカの壁の向こう側」へと乗り越えることができるのです。

そして、扁桃体の活動が弱く、やる気が起きにくい人について。

先ほど述べたように、前頭葉はブレーキの役割を持っています。

腐敗した自転車の機能しないブレーキでは心許なく、どこにも行く気は起きません。

ジェット機は強力なブレーキを搭載しているからこそ超高速で稼働することが可能なのです。

まずは前頭葉を活動させ、ブレーキを強くすることから始めましょう。

ブレーキが安全に作動してくれるから、自転車を漕げるようになるのです。

最初は近所の散歩でもいいでしょう。

私も散歩は好きです。

少しずつ、ブレーキとアクセルを交互に作動させることができれば、誰しもが「バカの壁の向こう側」へ行くことは可能なのです。

まとめ

1|「学ぶ」とは何か(「知る」と「勉強する」の違い)

→ ただ情報を暗記する(勉強する)だけでは自分の見方・考え方を変えることはできない。”知る”ことというのは生き方が変わるほどの影響がある。

2|”バカ”と”利口”の違いは何か

→ 他人を思いやる良心と社会に貢献できる能力を併せ持った人のことを”常識”がある(利口)とし、そうでない人のことを”バカ”という。

3|”バカ”にならないためには

→ 脳の「扁桃体」と「前頭葉」の機能を活性化させる活動をする。

以上で養老孟司著「バカの壁」の紹介を終わります。

いかがでしたでしょうか。

義務教育で退屈な中受けていた授業が、今思うととても貴重な時間だったのだと、今更ながらに悔やまれる思いがしてきます。

「子供に普通教育を受けさせる義務」がある通り、誰しもが「学ぶ」について関わっています。

そもそもなぜ学ぶのか、この問いについて早くから自覚した分だけ、吸収のレベルが全然違うと思います。

親、先生、成長すれば子ども本人も、生涯で一度は触れておくべき書籍とさえ言えるのではないでしょうか。

今回紹介した内容は書籍のほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山の知識、知恵、アドバイスなどが掲載されていますので、是非実際手に取って読んでいただきたいと思います。

もしかしたら、あなたの悩みをダイレクトに解決する何かと出会えるかもしれません。

SS(書籍最高)!

それではまた。

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